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平泉寺発掘
平成元年から5カ年計画で実施された白山神社周辺の山地や耕作地、住宅地等の発掘調査では、予想をはるかに超える遺構がそのまま平泉寺地区の地中に埋もれていることがわかった。さらに、遺跡の広大さや保存状態は全国屈指のものであることもわかり、旧境内の約200ヘクタールが、「国史跡白山平泉寺旧境内」として追加指定を受けた。特に南谷坊院跡の発掘では、日本における中世最大の石畳道(280メートル)を確認している。また、坊院の門跡の検証からは、各坊院間が24メートル、もしくはその倍であり、中世の時代に大がかりな都市計画がなされていたことがわかる。いま中世宗教都市の全貌が明らかにされつつある。 |
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平泉寺とは
平泉寺は、勝山の南東にあり、白山への登拝口に開かれた山岳寺院である。養老元年(717)に僧泰澄によって開かれたと伝えられる。平安時代末には北陸地方における一大宗教勢力となった。最盛期には社数は48、堂数は36、南の谷には3,600の坊院、北の谷には2,400の坊院が建ち並び、所領は9万石・9万貫といわれている。白山登拝道(白山禅定道=「歴史の道百選」に選ばれている)の起点として栄えた。 |
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現在、境内には、緑のじゅうたんを思わせる美しい苔が生え、拝殿、本殿の建物や礎石、老杉とあいまって見事な自然の調和をかもし出している。ほかに国の名勝指定された旧玄成院庭園、「日本の道百選」の参道がある。 |

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